Kure-Kanbutsu Co.,Ltd.

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しゃコラ2006

しゃコラ2006

  • 2006/11/30 子供たちへ

    今、いじめが社会問題化している。いじめ自殺の連鎖を止める手立てはないものか。
    子供たちにとっての自殺が、「自分はここにいるんだ」という最後の悲しい自己アピールだとしたら・・・、あまりにも辛い。

    よく言われる「いじめの現状がまわりの大人たちに見えにくい」のは、見て見ぬふりの子供たちが分厚いカーテンとなり、先生たちの目線を妨げていることにあるらしい。いじめの原因は多様で、即効性のある具体的対策は見えにくい。一番の問題点は、いじめる側の子にその自覚がないことではないか。

    親であれば、いじめが問題になった時、わが子が当事者でなければ、ひとまず安心する。しかし状況が変わらなければ、いずれわが子も当事者になり得るということを覚悟しなければならない。また、学校側ばかりに責任をなすりつける為、現場の先生たちにも動揺が広がった。心ある優秀な学生たちが、将来教師になることをやめてしまうのではないかという不安が、頭をかすめる。
    報道するメディア側や教育委員会の対応などにも今後検証の必要性を感じる。

    いじめを生む土壌に迫り、生きる価値が感じられる日常に変えていかねば、いじめの当事者たちには何も響かないだろう。
    物質的には豊かな日本だか、子供たちは漠然と将来に不安を感じている。
    心がなえた時、いったい誰に、どこに相談すればいいのか・・・。
    金八先生、ヤンクミ・・・、テレビでおなじみの熱血教師たちなら、子供たちとどのように向き合い、何と語りかけるだろう。
    若い企業家やヒルズ族などの成功者が、ちやほやされ、ニートなんていう言葉が注目を浴びる今、平成生まれの子供たちは周囲の大人たちに早くから「答え」を求められ、日頃から息苦しさを感じているのかもしれない。

    でも、あせらなくても大丈夫だ。人生はとてつもなく長いのだから・・・。私も君たちの年頃には、将来への「確かな答え」なんて何も持っていなかった。
    大切なのは自分を大切にし、結論を急がないこと・・・。そして、自分の言葉を失わないこと・・・。人間誰しも、ひとつやふたつ“傷”をもって生きているものさ。
    未だに「答え」は見つからないけど、私は毎日そういう姿勢で現実を受入れ、揺らぐ自己を認めながら生きてきた。
    だから、悩める子供達よ! 時にはそんな大人たちとじっくり話でもしてみないかい。

     

     

  • 2006/11/01 "道"

    自宅のリフォームの二期工事が終了し、新たな日常がスタートした。
    今回は、キッチンの全面改修と隣接する駐車場のシャッター電動化などが目的。
    約1週間仕上げ工事の為に駐車場が使えなかった時、会社に車を残し、久しぶりにぶらぶら自宅まで歩いて帰ったら、日頃車で通り抜けるだけの"道"や町並みや、間違いなくそこに暮らす人々の日常生活が、やたらと新鮮に映ってワクワクした。
    日焼けした赤テントの喫茶店、玄関先で金魚の水槽を洗うおじいさん、店頭で接客している八百屋さん、おばちゃん達の井戸端会議、などなど・・・・。
    そんな身近な人々の”生活感”がおもしろくないわけがない!
    そこには忘れかけていた何かを思い起こさせてくれるような”光”がきらめいていた。

    "道"は古来、人や文化、自然と交わる場であった、というのがよくわかる。
    それが今では移動という機能に徹し、スピードしか考えなくなった。
    現代社会では"道"は歩くことが主体ではなく、車という最も"道"と密接な関係にある乗り物が支配している。

    そもそも"道"とは何だろう。人が幾度も通るところが"道"となる。
    "道"それはまた『人の道』とか、『道を極める』とか、 地理的意味合い以外の言葉としても使われることがある。例えば『人の道』とは・・・・、人としてどう生きるべきかというようなことを言っているのではないかと思う。またこの言葉を別の視点から見れば、ある日から今日までの軌跡、たどってきた過程とも受け取れる。いずれにせよ"道"には一言で片付けられない、いろいろな意味が込められているのだ。

    今でも"道"は私たちの生活になくてはならないものである。人は"道"を通して移動し、政治・経済・文化等を伝えていった。それは太古の昔から現在まで続けられてきたが、今では新たな技術革新によって情報の伝達は、"道"を必要としなくなった。そのことによって"道"本来の役割が変わるとは思えないが、"道"に対する人々の思いは変わりつつあるのではないだろうか。むしろそれは自然な成り行きで、そこに問題があるとすれば"道"や空間の造り方、利用の仕方ではないだろうか。

    いつもの"道"を歩く・・・・・自分と向き合い、人と出会い、地域と触れ合うために・・・。
    それは失われかけている"道"、過ぎて行った"時"へのリセットである。
    リフォームによって生まれ変わって、新たな日常を生き直すリセットとあわせて、この感覚は、面白い映画を一本見終わった時の感覚に似てると思った。
     

     

  • 2006/08/30 ブログ?・・・いやコラムだ!

    日記というものは本来他人には見せないものだ。そこには赤裸々な感情や青臭い思考が満ち溢れている。詩なんか書いてあったりすれば、後で読み返して一人赤面することは間違いない。にもかかわらず、今はブログ(blog)という形式で、ネット上には他人の日記が無数に公開されている。
    人に読まれることを前提としている時点で、それは純粋な意味で日記とはいえないかもしれないがそれだけとりとめのない自分の日常を他人に知ってもらいたいという人がいるのだろう。そして、もしかしたらそれ以上に、誰かの日常を垣間見たいと思う人がいるのかもしれない。

    私もこの〈しゃコラ〉というコーナーでコラムを公開している。時々友人や取引先の人から「しゃコラ見たよ」なんて言われる事も多くなり、最近では少し恥ずかしいような、照れくさいような不思議な気持ちにさせられる。ネット上に公開しているということは、実は相当大変なことなのだ・・・。

    もともと当初の予定は、ブログ形式で『社長のブログ 通称<しゃログ>』というタイトルでスタートするつもりでいた。しかし、ブログのスタイルが日記風という理由と、まめな更新を必要としているという理由でボツにした。
    自分にはウェブの特性を生かし、気楽に書きたいときに、書きたいことを、書きたいだけ書くスタイルで、不定期にコラム形式で展開するのが気楽でいい。

    今の時代は、さまざまな事象を取り上げて、スタイルを問わず時評を表現する最適な場は、インターネットが一番だと思う。
    でも相手が見えないコミュニケーションであるがゆえに、その圧倒的な大衆性が課題や批判をのみ込んでしまい、「個」の保護と情報の自由を阻害していることへの解答はないまま、すべてを読者に委ねているのが現状だ。まさにスリリングな“情報氾濫時代のおもちゃ”となっている。インターネット社会では、まだまだたくさんの問題を抱えているので、今後も発信する側のモラルが問われるだろう。

    私は、このコーナーから様々なメッセージを発信することで、逆に今の時代のぬくもりを敏感に感じ取りたい。もちろん、読者にも同じ感覚を・・・と、パソコンを前にして、そんな思いをあらためて強く抱いてしまう。
    コラムの原稿を書くことで「適切な言葉を探すこと」を、ネット上に公開することで「自分をさらけ出すこと」を、それぞれ”今の時代”を通して教えてもらっている感覚・・・。メディアからあふれる音や映像を消して、少しぐらいこんな時間があってもいいと思う。
     

     

  • 2006/07/27 人間ドッグ

    「人間ドッグ」・・・10代、20代のときには縁遠いと思っていた言葉でも、30代を過ぎて、40代を迎える頃には次第に気になる存在に・・・。
    「自分はまだ全然大丈夫」と、言い聞かせる一方で、「ほんとに大丈夫?」と、もう一人の自分に囁かれていませんか?
    ある日突然・・・なんてことのないように、定期的に人間ドッグを受診して、病気の早期発見・早期治療に活用しましょう!

    実際、年齢を重ねるほど、会社や家族の事などもあり、やはり健康には気を使うようになるもんです。
    そんな訳で「人間ドッグ」、今年も張りきって行ってまいりました。
    何回受けても、ドキドキするもんです。

    しかし相変わらず「バリウム」、まずいなぁ~!
    おいしくなくても、せめてもう少し飲みやすい「バリウム」、できないもんですかネ?
    製薬会社さん、なんとかしてよ~
    どうも、吐き気をもよおしてしまい・・・(食事中の方ゴメンなさい)
    これだけは何度飲んでも苦手です。

    結果は~?・・・  詳細は、ひ・み・つ (^^ゞ
    まずはひと安心、といったところでした。  ヨッシャ~!
    これでまた心置きなく、宴会できるぞー??
    と、思いきや・・・
    唯一、血液検査でひっかかり、お医者様曰く・・・
    「これは食べ過ぎ、飲み過ぎなどの影響かもしれませんねぇ~」
    確かにタバコをやめてから食べる量が少し多くなったかも・・・、
    でもアルコールはそんなに飲んでないと思うけどなぁ・・
    やはり何ごともほどほどが一番!、ですね・・・ m(__)m

    すべての検査が終了した後に、昼食が出るんですが、いつもながら豪華な食事。
    空腹の後ということで、おいしかった・・・です♪ (呉市 S病院)
    でも、おなかの中ではあの「バリウム」がグルグルと・・・
    皆様、健康にはご留意下さい。 

    尚、今回はブログ風にまとめてみました。
     

     

  • 2006/06/26 このままじゃ、終われない!

    世界が注目するサッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会で、日本は1次リーグF組の最終戦で 世界王者ブラジルと対戦(日本時間23日未明)し、1-4で逆転負け。
    同組最下位に終わり、 決勝トーナメント進出の夢は叶わなかった。
    日韓大会後から代表を率いてきたジーコ監督は、任期を終え退任する。

    こんなはずではなかった・・・。
    3大会連続で出場した日本は、自信満々で大会を迎えた。
    ブラジルの英雄ジーコ監督に率いられ、海外で経験を積んだ黄金世代が年齢的にもピークを迎え、「史上最強」の呼び声が高かった。
    国内の期待も大会前から大いに膨らんでいた。
    世界と日本との差は確実に縮まったとサッカー関係者もサポーターも実感していたのだが・・・。
    日本は最後まで悪い流れを断ち切ることができないまま、最終戦のブラジルに負けた。
    いや、ブラジルが勝つべくして勝ったというほうが、適切かもしれない。
    まさにコテンパンにやられた感じだ。

    国を背負う期待と不安、張り詰めた緊張感など、やはりワールドカップはスケールが違う。日本ではサッカーがメジャーなスポーツとなって、まだ10年そこそこ。残念ながら経済大国の日本もサッカーの世界では、未だ発展途上国・・・。しかし、勝負事は勝たなきゃだめだ。結果がすべてで、その過程は勝者のみが評価される。野球のWBCの時も優勝したからこそ美談として、その過程が評価され取り上げられた。
    対照的に敗者は、マスコミの格好のネタとして、時に面白おかしく、また否定的に取り扱われる。日本代表はそれに耐えて、もう次の大会に向けてスタートしなければいけない。

    近い将来リベンジを果たす時が必ず来る。
    その時こそ、今回の敗北が無駄ではなくなり、そこに至る過程が、輝きを取り戻す瞬間なのだ。世界との差を肌で感じたからこそ、ハッキリと見えてきたものがある。
    ・・・このままじゃ、終われない!

     

     

  • 2006/06/01 リフォーム

    我が家のリフォームがとりあえず完了した。”とりあえず”という言葉は、実に的を得ていると思う。
    なんといっても、リフォームというやつは、やり出すと、きりがなくなる。
    家族のためとはいえ、ここも、あそこも、ついでにあっちも・・・、といった具合に、どんどん増えていく・・・。

    今回の一番の目的であった水まわりはとても広く、使いやすくなった。
    お風呂部分を増築した為、大掛かりな工事になり思わぬ大きな出費となったが、それにもかえられないリラックスしたバスタイムを過ごしています。
    やっぱり我が家のお風呂は落ち着くし、それが、ピッカピカに生まれ変わったのだから、思わず入浴時間が長くなってしまうのも仕方がない。
    イメージは旅館のお風呂、これが日本人の理想ですね。ゆったりと過ごせる癒しのひと時です。

    洗面室は身体全体が映るほど大きな鏡と明るく広いスペース。
    いつものようにヒゲ剃り具合と髪を整えながら、自分の顔を鏡で眺めていた。久々にじっくりと見る自分の顔。でも、明るいからか、何か変な感じがする。
    よく見てみると、前髪のわけ際のとこに、白髪が数本。めだつとこに。
    実はもう、かなりあるのではと、鏡をのぞくと、つい、髪を分けてチェック。

    なんと見えないところのほうが多い・・・ちょ・・ちょっとまってくれ・・。▲×○◆△
    引っこ抜いたら、そこらに、倍以上生えてくるって本当?
    白髪って、これから、どんどん増えてくるのでしょうか?
    だとしたら、切るか、染めるしか方法はないってことじゃん???
    昆布とか、ワカメとかいっぱい食べるほうがやっぱりいいのかなぁ。これってやっぱり苦労してる証拠でしょうか(笑)
    薄々気づいていたとはいえ、リフォーム前の薄暗い洗面台の時には、目立たなかったこんな自分の変化まで思い知らされ少しびっくり・・・。

    また、本来の自分たちの生活スタイルや、大切にしている部分とかを再認識させられる。
    まるで透かし彫りのように自分たちの趣味や価値観を浮かび上がらせるリフォームの技には、「なるほど」と納得することが多かった。
    日々の生活が快適になり、気持ちにゆとりが生まれてくる、そんなリフォームなら、つい何度でもやりたいと思ってしまう。
    さあ、今度はどこをリフォームしようかな。
    そして、どんな自分に気づくか、今からドキドキ、楽しみである。

     

     

  • 2006/04/24 映画『男たちの大和』

    映画『男たちの大和』は大和ブームに乗って公開以来、大変な観客動員が続いてる。
    再度、呉市内の映画館での上映期間を延長したとのこと。
    呉市内の数ヶ所でもロケが行われ、公開前から地元では、かなり話題となっていた。
    昨年、呉の「海軍墓地」や「大和ミュージアム」でのロケが行われた時に、呉市役所観光振興課(呉地域フィルムコミッション)の配慮で東映撮影所のロケ隊を訪問したのがご縁となり、試写会の招待を受けた。
    公開前の昨年11月12日に「大和ミュージアム」で行われたその試写会には、監督を始め俳優たちも顔をそろえた盛大なものだった。

    舞台挨拶のときに紹介された、生き残った戦艦大和の元乗組員の方達のことが今でも忘れられない。身体こそ、年とともに不自由になっても、遠くを見つめるその眼だけは当時と変わらず毅然としている。「自分自身の過去を意識せざるを得ない年齢に達した者」の心の表出だろうと私はその時感じた。この60年もの間、何を見てどのような思いで、過してこられたのだろうか。すぐ前の席にいる、そんな元乗組員の老人たちに、私は声をかけてあげる事もできずにいた・・・。

    彼らの生涯は、大和抜きでは決して語ることができないのだ。一言で言い表すなら、不遇であったとしか適当な言葉が見当たらない。あの戦争はいったい何だったのか・・・。
    これから先、戦争をどう伝えていくべきなのか。映画の上映期間が終わっても単なるブームで終わらせてはいけない。短い人生を生き切った若者たちの、断ち切られた"想い"と命懸けの"愛"を元乗組員の言葉として語り継いでもらいたいと願うのだが・・・。彼らに残された時間は、そう長くはないのだ。

    その日、試写を見終えたときに感じた複雑な思いの理由が何なのか、私には思い当たるものがなかった・・・。今となって思えば、それは今を生きる私たちが、生きている証としての生を、真に自己のものとして実感できる機会が少なくなっているせいなのかもしれない。「生きる」とはどういうことなのかを問い続けた人たち、それぞれの人間が自らの生を賭けて問う、激動の時代の姿を刻んでいる。おそらく死の恐怖を体験した者の生に対する根源的な希求とは、『人間性の回復』を目指すものなのだろう。
    戦争を「人間らしい生の営みを奪う巨大な社会機構」ととらえ、その対極に「愛」を描き、「愛すらも踏みにじってしまう巨大な破壊力」が戦争にはあることを私たちに訴えてくる。

    戦後60年経って、改めて戦争という狂気の中で犠牲になった方達のご冥福を祈らずにはいられません。

     

     

  • 2006/03/24 スポーツは素晴らしい

    野球の国別対抗戦ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝、日本対キューバ戦が20日(日本時間21日)、米国カリフォルニア州サンディエゴで行われ、日本は10―6でキューバを破り、初代「世界チャンピオン」に輝いた。
    世界中の優秀なプレーヤーたちが母国を代表して、世界一を競う国別対抗野球大会で日本は数々の苦難を乗り越え、日本プロ野球のレベルの高さを世界に示すことができた。途中、韓国に連敗したとき誰がこんな結果を予想しただろうか。
    何事も最後まであきらめてはいけないということを改めて教えられた。

    イチローが言うとおり、日の丸を背負い戦うことは、相当なプレッシャーがあったことだろう。そんな中で、チームとして一丸となり勝利のため戦うなんて、ちょっとうらやましくも思った。
    チームのメンバーと悔しさや喜びを分かち合う、所謂体育会系のノリって絶対いい!
    スポーツマンの一仕事終えた後の笑顔は実に誠実で、言葉は我々をすがすがしい気持ちにしてくれる。やっぱり、スポーツは素晴らしく、何ともいえず感動的だ。

    みなさん、次はサッカー・ワールドカップですよ。
    まずは、日本代表チームのWBC初代世界チャンピオン、おめでとうございます。

     

     

  • 2006/03/01 ロックは夢

    何がつらいといって、至福の夢から目覚めたときほどつらいものはない。経験ある人にはわかると思うけど、もう一度眠ってしまわずにはいられないほどせつない・・・。

    10代のころにロックミュージックと出会ってからの私は、ロックをそんな夢のようなものだと思っている。私にとってロックとは、一日24時間の生活の中でほんの一時に見る限りなくリアルな夢であって、それ以上の何モノでもない。ロックの素晴らしいところは、夢のくせにやけにリアルなところなのだ。だからこそ醒めた後がつらいのだ。

    先日ひさしぶりにタワーレコードでCDを買った。今話題のジェイムス・ブラントのファーストアルバム「バック・トゥ・ベッドラム」だ。
    シンプルな楽器構成、耳に残るメロディと控えめなアレンジ、そしてこの声・・・・、これはいいぞっ!ちょうどソフィー・セルマーニの男性版とでもいうか、デビューの感じがよく似ている。どちらもたいしたプロモーションもしないでヨーロッパ全土で売れに売れた。

    アルバム全体が強いメッセージを放ち、今はやりの音ではないが、どの曲も実に味わい深く、目の前に広がるさまざまな景色を連想させる。
    オープニング曲の「ハイ」から、大ヒット曲「ユア・ビューティフル」にかけて漂うドラマチックなストーリーは麻痺した現実認識と淡い夢とが同居してしまうことへのはがゆさが、生むものであろう。夢を忘れることのできないこのはがゆさは、何が何でも信用できる。「グッバイ・マイ・ラバー」から「ティアーズ・アンド・レイン」、ここにはもう夢を見ることへの確信犯的なまでの思い込みがある。「ソー・ロング・ジミ-」で現実に引き戻され、「ビリー」では頭の中で時を追体験する。そしてNATOの軍人であったという変わった経歴を持つブラントの実体験が、表現欲求となって現れた「クライ」「ノー・ブレイヴリー」へと続いていく・・・。

    高校生の頃「いつまでも夢見とったらいかん」と、担任の先生に言われたことがある。
    とんでもなく美しい夢をリアルに体験してしまったがために、現実に期待してしまうことはそんなに無意味な事なのだろうか・・・。そんなはずはない。どんな夢でも”いつか来たるべき明日”であっていいはずだ。

    私はロックで夢を見る。ずっとこのままでいたいとすら思う美しい夢だ。でもステレオの前から一歩離れれば殺伐とした現実が待っている。
    見た夢が美しければ美しいほど現実への期待は大きくなる。それで、美しい夢を体験してしまった私は、夢とは違う現実にため息をつきながらも青い空を見上げながら、毎日頑張るのだ・・・。

    私は、これからもずっと夢を見続ける。そして、その夢は正しいと信じている。

    コラム画像

     

     

     

  • 2006/01/31 企業経営の在り方

    日本企業の不祥事が後を断たない。メディアは連日それらをきそって報道する。いかに信用される企業になるか、どう社会的責任を果たすのか、今改めてその大切さが問われている。

    昨年末には、耐震強度偽装事件が我々の社会生活を揺るがした。
    いまだ真相解明も安全確保の対策もままならない。建設にあたった当事者たちは責任をなすりつけ合い、事態は混迷するばかり・・・・。登場人物たちの特異なキャラクターもまた、ワイドショーの興味をそそった。
    最近では、ライブドア・ショックが市場重視に急激に移行しようとする日本経済を混乱させた。時代の寵児ホリエモンに大勢の人が失望し、別の大勢の人は当然の気持ちを抱いたことだろう。
    とりわけこのふたつの問題は、我々に企業経営の在り方そのものを問いただしたともいえる。

    またこれらの事態を招いた原因が、当事者たちだけにあるとも思えない。
    見た目に左右されず、本物を見分けることのできる目を養わないかぎり、同じことは繰り返し起こる。規制緩和によって既存の仕組みが激しく揺れ動く中、この国に合う市場主義を確立するため構造改革路線も後戻りはできない。企業の社会的責任(CSR)、コーポレート・ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス(法令順守)など今後も企業にとって厳しい環境は続く。
    しかし、この重要性を理解している企業こそ、信頼・信用を得ることができるということを肝に銘じたい。