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しゃコラ2017

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2017/12/20 カメムシ都市伝説

 

日本には昔から数多くの迷信、言い伝えが存在している。
さて、次の内、いくつ知ってますか??


「しゃっくりが100回続くと死ぬ」「夜に爪を切ったら親の死に目に会えない」「くしゃみをするのは誰かが噂をしている」「ご飯を残すと目がつぶれる」「若布や昆布を食べると髪の毛が増える」「へそのゴマを取るとお腹が痛くなる」「牛乳をたくさん飲むと背が伸びる」「霊柩車を見たら親指を隠す」etc…。


いやいや、そういう話ではない!


今回はズバリ『カメムシ都市伝説』のお話。


市内でも冷え込みが厳しくなり、さすがにカメムシの姿を見かけなくなった。
今年はどうも大雪が降りそうな気配だ。というのも今年のカメムシの多さがハンパではなかったからだ。洗濯物もよほどしっかり振るわないと、カメムシの匂いとともにたたみこんでしまうほどだ(これはちょっと言い過ぎ!)。


2、3人が寄っての世間話も今年はカメムシの話題が多かった。「カメムシの多いこと」「毎日カメムシ取りだ」が私の廻りでは時候のあいさつにもなった(笑)。


業界の忘年会でもカメムシの大量発生で大雪が降るという話で盛り上がった。ついでにカマキリが多く出まわり、高い所に卵を産みつけているから大雪が降るという話も・・・。


科学的根拠はまるでないくせに、昔からの言い伝えは、どうやら的中することが多いらしい。それらは適当な作り話などではなく、ニッポン人が昔から生活の中で作り上げてきた社会のルールや習慣、価値観、知恵などに深く根差しているものなのだろう。


今年もいよいよ残りわずかとなったけど「カメムシが多い冬は大雪」という都市伝説が、どうか的中しないで穏やかな新年を迎えられるよう祈る師走である。

 

 

2017/11/27 中年男のリアルな心情

 

青春時代に憧れたアイドルや“いいアニキ”的ミュージシャン達が、見るも無残な状態になっている今日この頃。
歳を取ることとは無縁だと思っていたあの頃も今は昔の話。


人生の折り返しを過ぎれば、身近に老化の足音が聞こえてくる。買い物に行けば買うものを忘れ、忘れないようにとメモをするも、そのメモを忘れるといったありさま(汗)。記憶だけでなく、疲れやすい、徹夜が出来ないなど、体力面でもひしひしと感じる。何とか食い止めることはできないものか。


実は若いころ「自分をオバちゃんだと思っているオバちゃんは、この世にはいない!」という、世の中の秘密も垣間見た…(笑)。


これは「人間は自分の年齢というものを受け容れるべきだ」と語る一方で、「私は『まだ若者』のつもりでいるらしいのだ」の最たるもの。


昔は年長者の果たす役割も多く、いやがうえにも 年齢を意識せざるを得ず、強制的に年長者は年長者らしく、若者は若者らしくさせられた。


だが、近年の社会変化の影響が大きいのか、今は、若者に嫌われないようにというのが世の大勢だが、オヤジにもなるとカラダのあちこちにワガママな部分が出てきて、いつも上機嫌でいるなんてあり得ない。


やはり若い方がいいに決まってるし、お決まりの成人病にもなりたくない。でも若さを重視する考え一辺倒も嫌だし、どちらかに決めようとすれば、それはそれでウソになる。


いずれにせよ、ボーッとしていては、歳を取るばかり。どうせなら日進月歩の研究成果にアンテナを張り、アンチエイジングの正しい情報を取り入れていつまでも若々しく暮らしたいものだ。


「老けたなぁ」なんていう自己暗示に注意し、何より「日々の生活を楽しく」が我々のリアルな心情というもの。


毎日、若くありたいと努力することこそ、自分らしく人生を豊かに過ごす秘訣なのだから…。

 

 

2017/10/19 キノコが気になる季節です

 

「食欲の秋ですねぇ~」と言えば、私の大好きなキノコの美味しい季節。秋はもちろん、年中、毎日のように食べています。我が家の鍋の具は、何が何でもキノコだけは外せません。


先日、デパ地下の食品スーパーで、妻とたまの贅沢とばかりに、あれやこれやと物色していた時のこと。野菜売り場にずらりと並んだキノコを前にした、ご夫婦の会話が耳に飛び込んできた。


「おっ、松茸が出てるじゃないか。今晩は、これですき焼きといかないか」


「…シイタケでいいんじゃないの…」


思わず振り返って見てみると、お年を召した品の良いご夫婦。でも、楽しげな旦那さんの提案をうんざりした感じでスル―した奥様。


ははーん!雰囲気からすると旦那さんは結構な立場の方に違いありません。そして、接待などで様々な高級料理店に行った経験をお持ちのはず。そう、松茸をカジュアルにすき焼きに入れてしまうような贅沢なお店。そんな名店に行きつけていたので、リタイア後もなかなかその癖が抜けないのです。松茸ときたら、土瓶蒸しや焼き松茸のような定番メニューより、すき焼きやフライで外すのがオツだろ?なーんて感じ…。


解ります!私も花のバブル入社組。あれこれ意表を突いた松茸料理を頂いてまいりました。確かに、すき焼きに入れるのはおいしい!甘辛い割り下に松茸の風味が加わって、なんとも奥深い味になるんです。といっても、すぐ飽きますが…。


でもねぇ、おとうさん(と、勝手におとうさん呼ばわり)、一般庶民にとって、松茸は大変な贅沢品なんです。すき焼きにぶち込んで、もぐもぐ食べる、なんて、暴挙以外の何物でもありません。奥様の言う通り、シイタケにしときましょうよ、シイタケにっ!(笑)
と、余計なお世話のエア説教が、頭の中を駆け巡ったひと時でした。


そういえば学生時代、実家に帰省して久しぶりに東京の下宿先に戻ってみたら、やりっぱなしの台所に変なキノコが生えていたことがあった。薄い黄色のヤツだ。
あれ以来私は、妙にキノコが気になるんです。(笑)

 

 

2017/08/28 落とし物は何ですか?

 

8月6日の平和記念日や15日の終戦記念日、広島の街は外国人でいっぱいだった。年々この頃に広島の街を訪れる外国人は増えている。街全体もそんな外国からの客人を歓迎している雰囲気。だがその一方で外国人の落とし物が過去最高点数を記録したらしい。


2020年の東京五輪を誘致するプレゼンの時、壇上に立った滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」を覚えている人も多いだろう。その時、彼女はニッポンらしいおもてなしの一例として、なんと落とし物に言及していたのだ。


「もし皆様が東京で何かをなくしても、ほぼ確実にそれは戻ってきます。」


これにはさすがに世界中がどよめいた。ニッポンという国では、外国人からすればウソのようなホントのことが起こりえるのだと。ともかく〝落とし物が見つかる国、ニッポン〟を世界に向けて発信してしまったが為に、今や東京に限らず地方でも全く手が抜けなくなってしまっている…(笑)。


「落とし物を拾ったら、交番に届けましよう」


親から、学校の先生から、刷り込みのように言われてきたこのフレーズ。誰しも絶対に見つからないと思っていた財布や、大切にしていたアクセサリーが、見つかってホッとした経験が一度ぐらいはあるだろう。


世界が驚く「お・も・て・な・し」ニッポンの落とし物発見力。日々届けられる膨大な落とし物は、どんなものがどう落とされ、どんな道をたどって落とし主に届くのか。返還されると異口同音に感激し、うれし涙を流す人もいるという。世界中どこ行ってもここまで探してくれる国は絶対ありません。


財布に指輪に携帯電話ならまだしも、ガイドブックや聖書から英語で書かれた悪口のメモまで、何でも落とし物として保管され、ただただ持ち主が現れるのをじーっと待っているのだ。
でも、ちょっと待った! それらは本当に「落とし物」??


「忘れ物」か、はたまた「捨てられた物」なのか…。


う~ん、その線引きはいったいどこにあるのだろう?

 

 

2017/07/24 言葉がなければ人は生きられない

 

年に何度か、言葉にカラダを射抜かれる。それは誰かの話だったり、映画や小説で出会ったり、歌詞だったり。胸のあたりをスパンと狙い撃たれると、驚きのようなうれしさのような感情が広がり、なぜか少し切なくもなる。


「僕を変えた奥さんじゃないですか」


4年前に父・市川團十郎さんを亡くし、今度は愛妻・小林麻央さんを失った市川海老蔵が、それを報告する会見で声を振り絞って語った言葉。2人の忘れ形見を残しての妻の若すぎる死。かつてやんちゃだった彼が愛し抜いた万感の思いが込められている。


妻を失った彼が流した涙は、あまりにも過酷な運命に対して人間が逆らうには無力すぎる、という悲しみに対する絶望感だったのではないだろうか。


今後の彼には自身の役者としての精進と、娘の健やかな成長と息子を立派な役者に育て上げるという大切な使命が託されている。だが、まだ娘と息子は幼い。突きつけられた現実は、そう簡単にはいかない。これから先、思い悩んだ時には、どうか愛妻の残した言葉を思い出してほしい。


「なりたい自分になる」と題した小林麻央さんのブログに綴られた言葉を読むと、いまでも心を揺さぶられる。末期がんという現実の中で最悪のことを意識しないはずはない。それでも彼女は前向きで明るかった。それは、治療の先の「奇跡」を信じていたからだ。どんな末期がんでも、きっと直すことができるはずた、と…。


そこまで頑張れたのも、何より市川海老蔵がひとりの夫として常に前向きに言葉で、妻を日々勇気づけていたからに外ならない。


人がほんとうに自分が死ぬか生きるかのクライシスになった時に求めるのは、お金でもモノでもなくて、本当の言葉でしょ。言葉がなければ人は生きられない。


彼の悲痛なまでの新たな決意「これからも共に生きる」という言葉が、何とも切ない…。 


 

 

 

 

2017/06/23 世界に一つだけの花は、夜空ノムコウにあるのだろうか…

 

『解散は香港でもトップニュースだった』

どこでどうボタンを掛け違ってこんなことになってしまったのだろう。
昨年末解散したスマップのメンバー3人がジャニーズ事務所を退社することが発表された。これで国民的人気グループの元メンバーは、分裂する形で芸能活動を続けていくこととなった。


今さらワイドショーのように経緯を振り返ったり検証したりするつもりはない。いろいろな想いはそのままに、それをなくそうと努力をするつもりもない。元メンバー達もそれにとらわれていたら前には進めないだろう。だから終了ではなく、完了してリスタート。ちゃんと前を、そして上を見てこれからの人生を歩んでもらいたいと思う。

 


“ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン”


『世界に一つだけの花』のあまりにも有名なフレーズだが、メンバーの一番好きなフレーズはこれではなくて、“バケツの中誇らしげにしゃんと胸を張っている”だったとか…。


実はスマップも私たちも、生きてる世界はそう変わらない。


それはバケツのように狭くて、冷たくて、とっても無機質。だけどそこでも、どこでも、いつもちゃんと胸を張っていたい。他の誰かではなく、自分のために。そうしたら、世界に一つだけの花はきっと咲いてくれるはずだ…。そんなことを思いながらあの頃のスマップは歌っていたのだろう。


“あれからぼくたちは何かを信じてこれたかな”って・・・。


『夜空ノムコウ』は、「なんかいい曲だよね~」以前カラオケ好きの友人とそんな会話をした覚えがある。
バブル崩壊後の失われた10年に社会に出た若者たち(ロスト・ジェネレーション)のBGM。フリーター、二ート、ひきこもり、派遣労働者、就職難民などが急増し、格差社会も広がった。そうした時代、社会の気分を映し出したのがこの曲で、スマップが国民的アイドルとして、そういったみんなの言葉にならない声を代弁してくれたのだ。


あの頃の未来にぼくらは立っているのかなぁ~。5人で一緒にそう歌ったスマップ。果たして今、彼らは自分たちが願っていた未来に立っているのだろうか?今さらながら後悔はないのだろうか?


そこんとこ、やっぱ気になります・・・。
 

 

2017/05/26 トランプに賭けた米国の未来!

 

公職経験ゼロ、軍歴もゼロの米国の不動産王。そんな異色の大統領が今年の1月20日に誕生し、4か月経過したことで映し出された米国の社会の変化とは何だろう。
大統領就任式を世界中のメディアが一斉にトップニュースとして報じたのを見ながら、今回の大統領選で勝利したのは本当は誰だったのだろう?と、改めて思いをめぐらせたことを思い出した…。


「メキシコ国境に壁を作るぞ」と、威勢のいい言葉は、票集めのための空約束ではなかった。就任後、早速TPPなんてクソくらえ、とばかり交渉から離脱を表明、米国第一主義を唱えるトランプ政権が次々と打ち出す大統領令とその影響。一部では過激な行動もあり、これから先も安定した政権運営ができるかどうか、不安を覚えた人も多いのではないだろうか。そして今はFBI前長官の解任(ロシア疑惑)問題で窮地に立たされている。


また、新聞やテレビなどの旧来のメディアと敵対し、ツイッタ―を使って情報発信することを好み、それゆえ問題発言も多い。史上最も「知的水準の低さ」が危ぶまれる大統領の発言に、世界中が震撼している。そして、これらのことが現実に起きているという、笑えない冗談なのである。


結局、この人、政治をやりたいんじゃなくて、ビジネスがやりたいだけなんだ…。そう思えば少しはこれまでの言動も理解できるし、説明がつく気がする。トランプ氏にとって、外交も損得勘定に基づく「取引」の一種にすぎないのだと…。


だがまずはニッポンにも関係が深い北朝鮮の核開発やミサイル発射の問題だ。予断は許さない状況の中、トランプさんはこの問題をどう収束させるつもりなのだろう。北朝鮮が繰り返す軍事挑発にこれ幸いと、まさかホントに先制攻撃する気じゃないよね…?


さあ「CEO型大統領」の型破りな変革は、米国にとって吉と出るか、凶と出るか。これからますます目が離せない。


だが、こうしてみると今、米国で起きていることは、世界中どこででも起こりえることだということ。

ニッポンでも対岸の火事見物を気取ってる場合ではないのかもしれないよねぇ、安倍さん!(笑)

 

2017/04/22 桜の始まり

 

 

今年の桜のシーズンは雨が多く、お花見も結局天気次第だった。
でも宴会的なお花見にはよく誘われたので、いつになく冷静に桜の木を眺めることが出来たと思う。
ソメイヨシノに八重桜に枝垂れ桜に芝桜・・・。色鮮やかにクローズアップされた桜の花々は、強い生命力に満ち溢れていた。


そして、春の光の中、舞い散る桜の花びらに風情を感じ、桜の始まりというのは花が咲く時ではなくて、散り始めた時なんだ、ということを実感した。桜の花びらというのは、いわば紙吹雪に過ぎない。散り際に儚さやもの悲しさを感じ、それが散った後の生命観に満ちた葉の輝き。これこそが桜の始まりなんだと・・・。


美しい花を一斉に咲かせる「生命の息吹」と、あっという間に散ってしまう「儚さ」を併せ持っているので、昔から桜はニッポン人から愛されているのです。やっぱりニッポン人にとって桜は特別なんですね。


こうして文章にしてみるとあたりまえのことを、何故今さらと自分でも思うけれど、そのあたりまえのことをこれまで何十年も実感としてとらえることができていなかった。「葉桜もそれなりに奇麗」ぐらいにしか思っていなかったのである。


今年の桜は例年より開花が遅く、その分落花までが幾分長くてゆっくり観察することができたということもあるし、テレビ番組で福島の桜が特集されていたことも原因かもしれない。


桜が散るような移ろいゆく季節や人の心の無常感は、ニッポン人特有の美徳感からきていて、それなりの年齢になると味わいが増してくるものだ。


どうやら今年の桜は私にとって特別なものになりそうだ。


今日、風にあおられ散っていく花びらをスマホでおっかけながら見ていた、その時、一瞬が永遠のような桜に出会えた気がした・・・。
 

 

最後の力を振り絞って咲く桜の花

 

 

2017/03/24 ニッポン人のイメージ

 

毎日、スポーツの話題に事欠くことのない今日、メディアはスポーツをネタに、実に多くの「物語」を紡ぎだしてくれる。が、その中身はきわめて単純な場合が多く、どうも「オヤジ趣味」の「ニッポン人のイメージ」が先行している気がする。


たとえば女性アスリートが活躍すれば、アスリートであること以上に女性であることが注目され、「支える家族」や「女性であることの大変さ」が物語の中心になったりする。


また、海外で活躍するニッポン人選手が出現すれば、食事や言葉の「壁」に関する苦労話が語られる。そうして執拗なまでに「ニッポン人であること」がイメージとして押し付けられる。


このようなステレオタイプは、ニッポン人に対してだけでなく、アメリカ人に対しては身体が大きく「パワーがスゴイ」とか、アフリカ人に対しては「高い身体能力」とか、南米の優れた選手に対しては「ハングリー精神が強い」とかいった使い分けがされる。


そうやってスポーツニュースに日々接する私たちは、無意識のうちに「何か」を刷り込まれているのだ。


その「何か」とはいったい・・・?

 

それは無意識の先入観であり、ある種の人種差別であり、外国に対する違和感であり、ニッポン人は身体能力に劣るが組織力では勝るという固定観念であり・・・つまるところ、全く根拠のない「ニッポン人像」ということ。


しかし、これだけ海外で活躍するニッポン人が増えた今、もはやこれまでの「ニッポン人のイメージ」は、かえって邪魔になるんじゃないだろうか。実際に過去の「ニッポン人像」には全くあてはまらない若いスポーツ選手の活躍が最近増えている。


もうこれだけニッポン人が海外で活躍してるんだから、そろそろ、スポーツの世界もグローバルな目線で語ってもいいような気がする。


22日の試合で、米国に敗れ世界一奪還の夢が消えた侍ジャパンも、今回のWBCで多くの「物語」を紡ぎだしてくれた。だがメディアの報道の仕方をみると、やっぱり「ニッポン人のイメージ」の例外ではなかった様な気がする。


今大会での侍ジャパンの報道の仕方にふとそんなことを感じた。

 

 

 

 


あとがき  世界一にはなれなかったけど、侍ジャパンの皆さん、お疲れ様でした。

 

2017/02/22 昔話はしないに限る

 

昔話に花が咲くというのは大いに結構なことだし、旧友や同世代間の話というのは親近感や自身の過去を振り返る意味でも楽しいものだ。
間違ってはいけないのが、昔話というのは同世代間でのみ、もしくは求められた時にのみすればいい話だということ。


自分より下の世代に対して、もしくは求められもしないのに「オレの若いころはなぁ~」「昔はね~」などと口走ってはいけない(笑)。なぜなら大抵の場合、「昔はね~」に込められた真意は、所詮は過去の「良かったこと」でしかないからだ。


自慢話や武勇伝などを、さも誇らしげに語ることが悲哀に映るのは、その話が自慢げであればある程、その武勇伝が勇ましくあればある程に、今がいかにそこからかけ離れてしまっているかの証左となる。


「オレも昔はワルでね~」というのは、大体そうでない人が多い。「今もワルでね~」と言うなら、まだ少しはマシ。話題が豊富でない人ほど、ひたすら昔話をしてくる。気持ちがわからないでもない。だが「話題豊富」の反対語が「昔話」なのだ。


オトナである我々には、誰にでもそれなりに経験がある。
その経験は大いに生かされるべきではあるものの、ことさらにそれをさらすのも、結局はよくある昔話と五十歩百歩と思った方がいいかもしれない。


政治、経済、映画に音楽、趣味やファッションについても同じだ。

女性遍歴などはもってのほか。

意味もなく昔を語るなかれ。

今を生きるオヤジは今を語るべし。

興味をひかれること。

これからやりたいこと。

未来のビジョンを。

そして、夢を語るべし。

 

 

2017/01/13 ありがたくも面倒な習慣

 

大自然もグルメもお買い物も欲張りに大満喫!リピーターも多い、常夏のビーチリゾート・ハワイ。今年も新年を大好きなハワイでゆっくりと迎えることができた、と思いきや、待っていたのは楽しくも悩ましい旅行先でのお土産選び。旅行のたびに頭を悩ませてきた、このありがたくも面倒な習慣! もしかすると、あなたも親族近隣職場周辺へのお土産選びに奔走した経験をお持ちじゃないですか?


かくいう私も、お土産選びが苦手で、なかなか「これぞ!」とツボをおさえた物品をチョイスすることが下手な人間。友人はお土産選びの達人ぞろいなので、私の焦りと苦悩は増すばかり…。なんとか「ありきたり」「いやげもの」なんて言わせない、海外旅行先でマストバイなアイテムとお店を厳選してチョイスしたい。だからそれを簡単に教えてくれる雑誌やネットなどの情報に頼る人が多いのも理解できる。すべて現地在住お買い物マスターのお墨付き、つまり永久保存版!「ココでしか買えない」お宝リストみたいなヤツ。

 


でも今回気づいたんです。雑貨とか外国のお土産のモノ、もらってもほとんどニッポンじゃ使わないってことに・・・。
「欲しがると思って…」という、謎の思い込みとともに手渡されたお土産の数々。とりあえず感謝はするものの、押し入れの死蔵品となるモノ多数あり。お宅の押し入れにも、そんな「お宝モノ」が隠れていませんか?


食べモノなんかは特にそう。大抵の場合、海外のお土産で食べて美味しいものはないし、とくにアジアの国々のモノに美味しいものは、まずないといっていい。というより、口に入れることに勇気がいる、というか気持ち悪い気がする。そんな声をよく聞く。
これが国内旅行であれば、おいしいものも多いし、何より食べて安心なのだが、やはり海外のモノとなるともらっても抵抗がある。せいぜい食べておいしい、もらってうれしい海外のお土産といえば、ハワイのクッキーやマカデミアナッツチョコレートぐらいだろうか。


そんなことで結局今回も‘ホノルル・クッキー’を選択することに。今やお馴染みのこのクッキー。パイナップル型をしたショートブレッドクッキーは、ほっくりとした歯ざわりと上品な甘さが後をひき、いくらでも食べられる。やっぱり最高品質の素材を使っているし、多くの人々を魅了してやまないハワイの名物を背負って立つ“キング・オブ・お土産”に相応しいクオリティだ。


でもお土産選びで最近よくある「MADE IN 違い」は、テキトーって印象でやっぱり興ざめの印象が強いので注意したい。生産地もよく確認しとかないと各国定番のお土産のほとんどが‘メイド・イン・チャイナ’だったりするので、細心の注意が必要だ。


お土産選びに正解はないし、これにすれば絶対という万能なものもない。渡す相手がさまざまだから、喜ばれるお土産もさまざま。海外旅行で絶対喜ばれるお土産を買って帰るのは至難の業。だから、それに振り回されることだけは何としても避けたいものだ。


ならばこの際、あれも、これも、誰にでも…のお土産習慣を思い切って見直してみてはどうだろう。たとえば家族ならではの 「マイルール」を決めてしまえば旅は帰って来てからも 思い出が深まるように思う。


要は、モノより思い出。やっぱ、これですよ!!


とは言ったものの、土産話で済ますなんて出来ないのがニッポン人。ぶっちゃけ、聞く側も土産話より土産モノが欲しいはず。
あぁ~いつかは言ってみたい「お土産は『話』です」のセリフ。どうやら今後も悩みは解決しそうにありません。

 

 Honolulu Cookie